Takayanagi's life

日中国際結婚をした男の日々

 

9月2日の土曜日。
福浦漁港にある「みなと食堂」へ行ってきました。
私はもちろん、妻と子供と義父も連れて。

このみなと食堂について、私は全く知りませんでした。
テレビを見たわけでもなんでもなく。
旅行ついでに「美味しいご飯食べれるところないかな?」とググったところ、下記記事を発見。

【メシ通】
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/noriki-washiya/1604013

「評判良いみたいだし行って見るか。」というノリで足を運んでみました。
福浦漁港への入り口は普通では見落としそうなほどの小さな看板で、狭い一本道を下って「そもそもこんな所に漁港があるとは思えない場所」にありました。
到着したのは12:10頃だったか、運良く駐車場は空いていましたが、大賑わいしていました。
記名して45分ほど待って私の順番が回ってきました(海を見たりして時間潰しはできます)

頼んだメニューは下記の通り。
・しらす丼(アジフライ2種類付)
・刺身定食
・金目鯛の煮付け定食
合計7,000円(税込)ほど。

正直、食事のボリュームは多く美味。
しかしコスパは非常に悪い。
私も港町で育った関係上、「この鮮度は当然だろう」と厳しめに見てしまうのですが、関東圏内で「この新鮮さを食する」と考えればアリ。
今後も半年に1度は行くと思います(笑)

そしてもう1点。
他の方のブログには書かれていない事なのですが、店員さんの対応が凄く良い。
特にお店の入り口で案内をしていた男性(お店のご主人かな?)
うちの子の頭を撫でながら「待たせたねぇ〜いっぱい食べてね」と声を掛けてくださいました。
何気ない1コマかもしれませんが、「リピートしたい」と思わせる接客が私の心を捉えました。

ごちそうさまでした!!
また行きます(笑)

 

みなさん「木嶋浩史」という歌手をご存知でしょうか。
写真はANGELSというアルバムで、やっと手に入れました!!

私が木嶋浩史というアーティストを知ったのは13歳の中学1年生の頃(1990年くらいかな)
某競技の県大会に出場後(二回戦敗退)、長崎の西洋館にあったCDショップにレンタル落ちとして並んでいたのが、木嶋浩史の「THIS IS THE SEA」というシングルでした。
中古とはいえ、なぜかジャケ買いしたんですよ。

私はマセガキであったため、小学校3年生の時にはTM NETWORKのCDを買い漁ってましたし、BOOWYも聴いていました。
そんな少年だった私が「THIS IS THE SEA」を初めて聴いた時は衝撃的でした。
いろんな意味で。
尾崎豊にカジュアルな歌をカジュアルに歌わせたような印象すら受けました。
「ひとりじゃなくって二人が良いに決まってる」から始まる臭い歌詞と、変に力が入った歌声。
身体を斜めにしながらレコーディングしたんじゃないかと思うほどのクオリティ。
しかし、なぜか癖になるんですよ、シンプルなリズムも。

そしてまもなく「THIS IS THE SEA」のシングルを紛失。
木嶋浩史という名前も完全に記憶から消えました。
覚えているのは「THIS IS THE SEA」というタイトルとジャケット写真、そして「ひとりじゃなくって二人が良いに決まってる」「へい!美しいものはどこにある」「今まで川に流されていた。ここからは海だよTHIS IS THE SEA」とう一部の歌詞。

インターネットが普及した現代においても、全く「THIS IS THE SEA」の情報が掴めませんでした。
歌詞がカラオケサイトに載っているわけでもなく・・・
そもそも歌手名すら覚えてないので打つ手がありませんでした。
なので私の記憶に残された曲の一部を口ずさんで39歳まで生きてきましたさ。

「THIS IS THE SEA」のシングルを紛失して26年が経過した2017年の8月31日。
調べに調べて木嶋浩史という歌手にたどり着き、「THIS IS THE SEA」というタイトルが入ったANGELSというアルバムを入手しました。
さっそくプレーヤーで再生すると、26年前に聴いた曲が流れ始めました。
もう泣きそうなくらい嬉しくなりました。

今聴いても特別秀逸な楽曲というわけではないのに、中毒性がヤバい。
 

 

渋川海岸は岡山県玉野市にある海水浴場です。
仕事の関係で住所を調べていると、見覚えのある光景がそこにあったのです。
今から7〜8年ほど前、私は間違いなくこの渋川海岸をを訪れました。
付近の道路のストリードビューを見ると、自分の運転で走った記憶が蘇ってきました。
覚えているのは玉野市の家電量販店(DEODEO)へ行った事、ジョイフル玉野高崎店で食事もしたっけなぁ〜
数年前の事なのに、なぜか当時の記憶は途切れ途切れになっているのです。

全く土地勘もなく、地名も海岸の名前すら知らなかったこの場所をGoogle Mapで発見することになろうとは・・・

当時はまだ32歳くらいでした。
この当時は仕事仲間との出会いや別れなど、多くの事がありました。
「他人を頼っていた自分が悪い。これからは一人でやろう」と悟ったのもこの時期であり、その考えは今現在も変わらずにいます。

渋川海岸へも二度と行くことはないと思いますが、こんな形で足を踏み入れた事のある場所を見るなんて感慨深いです。

 

 

郵便局にガチャが置いてありました(笑)
うちの子はガチャガチャが大好きで、ご機嫌取りのために200円or300円ガチャをさせる事があります。
そんな子供が「欲しい」というので1つ買ってみました。

すると、パンダのポストが当たりました。
上野動物園に設置されたポストらしいですね。
製造はタカラトミーと書いてありました。

郵便局も民営化されてから色んなサービスを出すようになりましたね。

 

 

我が家は数年前から「入口さんちの七釜たまご」を好んで食べています。
この卵は長崎の「がんばらんど」で販売されており、親父にお願いして東京まで送ってもらっています。
私がどうのこうのというより、「子供に良いものを食べさせたい」という親心です。

最近は親に歯向かうようになってきて、時々ぶん殴りたくなる事もあるけれど、私の分身ですからね・・・
憎たらしいけどカワイイもんです。
どんなに文句を言われようとも、私の子は私の子なのです(笑)
 

 

時間が経過するのは早いもので、私もまもなく40歳になろうとしています。
本当にオッサンになってしまいました。
まぁ、仕方ありません。
みんな平等に歳を取るんですから。

さて、
久しぶりに家庭や仕事について書いてみようと思います。
39歳である現時点で感じている事と言いますか。

家庭については「平常運転」と言ったところです。
夫婦仲も良い悪いの次元ではなく、「一緒に生活を支えている存在であり子供の親である」という感覚で動いています。
唯一の問題として、共働きだからこそ子育てが大変です。
まもなくお手伝いに来てくれていた義父が上海へ帰国するのですが、帰国した後の生活が想像できないでいます。
やるしかないのですが。

次に仕事について。
相変わらず社内SEとして働いてます。
開発から保守運用、社員のサポートまで多くの事をやっています。
今朝なんて大阪支店のネットワークがダウンしたというアラートが飛びました。
その時点では停電という情報がないわけですから、出社すべきか自宅から指示を出すべきか悩みました。
結局、協力会社さんに「確認お願いします」とメッセージを投げて出社することに。
結果として良かったのですが、もし機器の故障であった場合は自宅からやるべき案件だったので「運」でしたね。
コンピューターに少しでも詳しい人(ping飛ばす程度でもいい)が支店にいてくれると良いのですが、そうじゃないから大変です。

話を戻しまして・・・
年齢的なものなのか、最近は仕事について悩みも出て来ました。
会社や仕事内容、人間関係のどれ1つ不満はないです。
私の心の問題なのです。
エンジニアとして社内のIT環境の全権限を与えられ、立場上の決裁権もあり、それはそれで働きやすい環境ではあります。
しかし、仕事をする上でどうしても邪魔になるのが「正社員という立場」だと思うようになってきたのです。
何が言いたいのかわかりますか?
簡単にいうと「労働力を会社に提供する事で対価を頂く立場」なわけです。
そうすると、どうしても「会社のために頑張ろう!売上を上げよう!」という意識が薄れ、真剣に頭を使って考えようとせず、現状に甘んじてしまいそうになるのです。
それはそれで嫌なんですが、それはそれで最近のサラリーマンらしいとも思います(笑)
戦後日本の高度成長期のように、他国に追いつけ追い越せで頑張れたモチベーションはどこにあったんでしょう。
その時代の勢いが私だけでなく社員全員にあったとしたら、会社として面白い事になるような気がしてなりません。
当時の三菱重工の話(親父の同僚たちが家族ぐるみで飲んで笑って頑張っていた時代)を親父に聞いてみようと思います。
これが今の仕事における悩みです。

 

Amazonのプレゼント動画ポイントが余っていたので「シン・ゴジラ」を見ました。

このチョイスをした理由は「コレが見たい」という映画がなかったことや、ゴジラの襲撃場所が我が家から近い事です。

いつも車で走っている道(北品川)や、見覚えのある風景が次々と破壊されていきます。

多摩川のシーンも「丸子橋がっ!!そこはやめてっ!!」ってな具合に、良く知る(通る)場所だからこその楽しみ方がありました。

幸いなことに、我が家はゴジラ襲撃時には建築されていないため被害はありませんでした(笑)

本音を言うと、もうちょっと破壊しまくって欲しかったかなぁ〜(^^;;

 

 

インターネット上ではかなり話題になっていますが、大阪桐蔭と仙台育英の試合・・・
この試合で甲子園の全試合が台無しになった気がしています。

何が言いたいのかというと・・・

仙台育英の選手が大阪桐蔭の選手を蹴ったとされるシーンにおいて、私の経験から言わせてもらうと「わざと蹴った」としか思えない。
もう断言しちゃっても良いんじゃないかと思います。
ありえないんです、そもそもが。
ぶっちゃけありえない。

今大会の全てが台無しでぶち壊しだ。
 

でもね、
蹴ったとされている選手はこれからが大変。
どんなに弁解しようがずっと言われ続けるんですよ。
社会人になっても「この事」を背負って生きていかないといけないんです。
残念だけどそうなるでしょう。

さらに、この責任は監督にあるとも思います。
なのに出したコメントがあまりにもショボい。
いくら強豪に育てあげる腕があっても・・・

 

生まれも育ちも長崎な私。
親父が重工の社員であったため、私も当然のごとく三菱病院で生を受けました。
私が小学生の頃、造船所の付近は大賑わいでした。
仕事を終えた社員の多くが「水の浦は水車小屋」、「飽の浦は馬場酒店や満脇酒店」で飲んで食って帰宅するイメージでした。
#他にも多くの飲み屋さんがありました

そんな造船所の真正面で育った私ですが、異変に気付いたのは高校生の頃。
飽の浦トンネルの工事が始まり、立ち退きになった不動産屋?が移転先として飽の浦公園になった事です(大きな公園でした)
それにより子供の遊び場がなくなり、子育てするには適さない環境になりました。
追い討ちを掛けるのが造船所の採用事情。
地元の人間ではなく県外の有名大学卒の人間を採用し、下請け業者と派遣労働者ばかりになりました。
結果として低賃金化が加速し、飲み屋から人がいなくなります(当然ながら酒屋もほとんど閉店)
#この時点で私は総科大生であったため長崎を離れるしか手段がありませんでした
さらに追い討ちを掛けるのが「菱社倉株式会社 リョーマート(スーパー)」の閉店。
その名の通り、三菱の従業員のためのスーパーなイメージがあるのですが、諸事情で水の浦店も飽の浦店も閉店してしまいます。
#赤字閉店ではなく、店舗の賃貸料値上げによる撤退だと店員さんから聞かされました

低賃金化、地元の人間の不採用、スーパーの閉店。
そして、重工を支えてきた団塊世代が相次いで定年退職。
結果、水の浦と飽の浦は昔の面影すらない「活気も何もない寂れた街」になってしまいました。
私を含む地元の若い人間(特に理系)が「長崎を離れる選択をするなんて容易に想像できる」でしょう。
地元愛などの綺麗事ではなく、生きていくために仕方がないのです。

有名な「三菱長崎造船所」がある街がそんな事になってるなんて、誰も知らないでしょうが事実です。

そして、最近では人口の転出も止まらないようです。
そりゃそうだ。
原因はわかっているのに対策を講じない県知事と市長が無能なだけ。
そして、そんなのを選挙で選ぶ長崎市民の危機感の無さ。
本気でもう手遅れかもしれない。

長崎を離れて16年が経過しましたが、「現役を引退しても長崎には戻りたくない」と思わせる街に成り下がってしまいました。
生まれ育った長崎をこんなにクソミソに貶したくなるってよっぽどなんですよ。
 

 

神奈川県は幸区の尻手交差点付近を走行中、ちょっとヤンチャなチェイサーを発見しました。

まず目に飛び込んできたのは「チェイサー」の文字。
ひとりで「書かんでもわかるがな(笑)」と爆笑しましたよ。

そして、他にも文字が買いてあったので写メを・・・

 

「ば・ばいきんまんwwww」

私にもそんな車が好きな時代がありました。
10〜20年前だったらお友達になりたいと思ったでしょうね。
(家庭のために)RX-7を手放してもう4年、大好きな車の事を忘れようとしても、やっぱり好きなものは好きなんですよね。