生まれも育ちも長崎な私。
親父が重工の社員であったため、私も当然のごとく三菱病院で生を受けました。
私が小学生の頃、造船所の付近は大賑わいでした。
仕事を終えた社員の多くが「水の浦は水車小屋」、「飽の浦は馬場酒店や満脇酒店」で飲んで食って帰宅するイメージでした。
#他にも多くの飲み屋さんがありました
そんな造船所の真正面で育った私ですが、異変に気付いたのは高校生の頃。
飽の浦トンネルの工事が始まり、立ち退きになった不動産屋?が移転先として飽の浦公園になった事です(大きな公園でした)
それにより子供の遊び場がなくなり、子育てするには適さない環境になりました。
追い討ちを掛けるのが造船所の採用事情。
地元の人間ではなく県外の有名大学卒の人間を採用し、下請け業者と派遣労働者ばかりになりました。
結果として低賃金化が加速し、飲み屋から人がいなくなります(当然ながら酒屋もほとんど閉店)
#この時点で私は総科大生であったため長崎を離れるしか手段がありませんでした
さらに追い討ちを掛けるのが「菱社倉株式会社 リョーマート(スーパー)」の閉店。
その名の通り、三菱の従業員のためのスーパーなイメージがあるのですが、諸事情で水の浦店も飽の浦店も閉店してしまいます。
#赤字閉店ではなく、店舗の賃貸料値上げによる撤退だと店員さんから聞かされました
低賃金化、地元の人間の不採用、スーパーの閉店。
そして、重工を支えてきた団塊世代が相次いで定年退職。
結果、水の浦と飽の浦は昔の面影すらない「活気も何もない寂れた街」になってしまいました。
私を含む地元の若い人間(特に理系)が「長崎を離れる選択をするなんて容易に想像できる」でしょう。
地元愛などの綺麗事ではなく、生きていくために仕方がないのです。
有名な「三菱長崎造船所」がある街がそんな事になってるなんて、誰も知らないでしょうが事実です。
そして、最近では人口の転出も止まらないようです。
そりゃそうだ。
原因はわかっているのに対策を講じない県知事と市長が無能なだけ。
そして、そんなのを選挙で選ぶ長崎市民の危機感の無さ。
本気でもう手遅れかもしれない。
長崎を離れて16年が経過しましたが、「現役を引退しても長崎には戻りたくない」と思わせる街に成り下がってしまいました。
生まれ育った長崎をこんなにクソミソに貶したくなるってよっぽどなんですよ。