はじめまして。
Takayanagiです。
プライベート・仕事問わず「たかやん」と呼ばれる事が非常に多いです。

【自己紹介】
・長崎市出身(現在:東京23区内在住)
・長崎総合科学大学附属高等学校→長崎総合科学大学 工学部 電気工学科 電子工学コース(2001年卒)
・既婚(妻、子1、うさぎ1)
・音楽と酒とスポーツカーが好き
・職業は商社の社内SE(2013年にIT業界のインフラエンジニアから転身)

【ここまでの人生】
・誕生〜22歳まで
病弱&身体に若干の不具合を持って生を受けました。
パッと見は気づかれませんけどね(笑)
少年期は思い出したくもない黒歴史でした。
身体はボロボロ、病気で中2から学校も行けず、そのまま15歳で社会人になったのです。
そんな時に「身体が悪くて働けないなら頭で勝負するしかない。高校へ行きたい。」と考え、半年という短い期間で可能な限りの受験勉強をする事になります。
下級生に混ざって複数の高校を受験するわけですが、当然ながら?学もなく通知表オール1の私など合格できるはずもありません。
そんな中、手を差し伸べてくれたのが長崎総合科学大学附属高等学校のとある先生でした。
その先生の期待に応えるべく、学年最下位の成績から3年生の上旬には30番まで登りつめました。
そして無事に大学へ進学し、人並みに彼女も出来て楽しいキャンパスライフを送っていました。
この時代が私が最も努力し、輝いていた時代だったかもしれません。

・22歳〜27歳まで
大学3年生の時、早くも大阪の某電機メーカーに就職が決まりました。
基盤の設計技術者として上場企業から内定を貰うという快挙をあげたのです。
しかし、これが私の人生を大きく狂わせます。
突然の多部署への転籍です・・・
人事部に辞令撤回をお願いするのが日課となり、何度か話し合いをしましたが「辞令は撤回できない」との事で、全員が退職する道を選んだのです。
えぇ、社会人になってたった3ヶ月目の出来事ですよ。
たった3ヶ月の勤務だったので貯金があるわけもなく(10万円のみ)、とにかく食い繋ぐために必死でした。
そこで私が選んだ道がITでした。
Fラン大卒でいきなり無職になった私に残された唯一の道だったのです。
主にデータセンターの設備担当として働いていたのですが、当時は故障率が物凄く、それはもうまともに寝れない生活でした。
#S○ft○ankのグループ会社ですw

・28歳〜30歳
やはり電機機器のエンジニアになりたいという当初の夢を忘れる事ができず、
IT業界から飛び出して船○電機へ潜り込みます(笑)
光デ○イ○グループのメンバーとして忙しいながらも私なりに頑張っていたように思います。
しかし、年齢的にも技術的にもIT業界で生きていくしかないんだと悟ります。

・30歳〜34歳
私にとって第2の黒歴史となります。
ブログがスタートした時期も一部重なるわけですが、社会人になって一番貧乏で仕事もキツかったです。
色々あって住民税を払うお金もなくなった時期があり・・・
役所に分納の相談すると「サラ金で借りろとは私の口から言えないけど、そういう事ですわ」と言われたりと人生詰んだかもと本気で思いました。
#西成区役所のオッサンよ、この恨みは生涯忘れんぞ
再起を図るべくIT業界へ戻るわけですが「これぞIT業界!」と言えるほどのブラック企業ばかり。
過酷な労働時間によって体力も集中力も限界に達し、特に集中力の低下は本当にヤバかった。
何をやってもミスばかりで、とてもじゃないけどまともに働けるような精神力は残っていませんでした。
3ヶ月間「俺の塩」というカップ焼きそば以外食べてないというギネス級の生活から想像して頂ければと思います。

・34歳〜現在
人生の一発大逆転が始まります。
妻に出会って結婚、上京、社内SEへの転身、子供の誕生、23区内に新築戸建購入という流れで現在に至ります。
良き妻に恵まれた事、IT業界を去った事で「人並みの幸せ」を手に入れた気がしてなりません。

さぁ、
私と出会ったことでみなさんが幸せになれるように。
お客様に喜んでいただけるように。
今後も悪事は絶対にせず、真っ当なエンジニアとして突き進んで行きます。

それがTakayanagiという人間です。

みなさんよろしくお願い致します。