Takayanagi's life

日中国際結婚をした男の日々


王心凌 / Hi Hi Bye Bye

王心凌のCDを全てコンプしてる私。
妻は驚きつつも「歌がうまいわk(以下自粛)」と言います。
しかし、個人的には良い曲が多いと思うのも確か。
まぁ、この曲を含めてコピーが多いわけですが。
歌詞の意味は独特の世界観ではありますが、「正反対の私達だけど足したら0になるから良い感じ」みたいなイメージかな(Takayanagi訳www)
ちょっと意味不明な歌詞ではあります。
日本の曲で例えるならばTM NETWORKの「クリストファー」並に意味不明。

ちなみに原曲はこちら(マレーシアの曲)

Ezlynn / Hi Hi Bye Bye

さて、
月曜日になりましたね。
私はお休みを頂いたので「やるべき事」を急ぎます。
引越し準備が大変で。
とくに楽器の類が・・・
11年もこの街に住んでいたため、荷物だけではありません。
各種変更はもちろん、挨拶まわりにも追われます。

泣いても笑っても今週が色んな意味で最後。
妻は「早く一緒に暮らしたい」と言いますが、過去の清算は簡単ではないのだ。


呉克群&王心凌 / NANANA

今日は「吳克群のMagiK Great Hits」というアルバムを聴きながらキーボードを叩いています。
NANANAも収録されています。

さて、
上海の結婚式は日本とはかなり違います。
この日記を書いている現在、上海のご両親が着々と準備を進めています。
参列者も物凄い数となっており、壮大な大宴会になる事は必至。

当日の私はと言いますと、黒塗りの高級ベンツ全体を生花で飾り、私が妻の家へ向かいます(運転手も雇ったらしい)
爆竹で歓迎?邪魔?されながらも妻を部屋から連れ出します。
そして、妻を車に乗せて上海の街中を5時間パレード(爆)
親族の車両も後方に連なります。
突っ込みどころ満載ですが、あちこちで写真を撮って結婚式場へ。
【参考】
http://shanghai.10s-china.com/cat25/post_332.html
こんな感じらしい(^^;;

結婚式は「上海王朝大酒店(曹家渡店)」で行ないます。
【参考】
http://www.weddingparty.com.cn/hotel/view/201109/20110908967.htm

そして、
義父曰く「ウェディングドレスは2度着るものじゃない(日本の式で着たから)」と言うわけで、妻は真紅のチャイナドレス、私は普通のスーツにする予定。
とは言え、妻はこっそりウェディングドレスを着る気でいます(笑)
妻のチャイナドレス姿は何度か見た事がありますが、やはり中国人が着るチャイナドレスは文句なく似合います(スタイルいいし)

しかし、
私の身近な人であればご存知だと思いますが、
決して幸せ一杯という訳ではありません。
今までの生活も趣味も失い、全てが一変するわけです。
他に選択肢がなかった。
家族のためだから。

ただ、
妻の一族が私の事を家族の一員として歓迎してくれています。
帰る家が上海にあるというのも心強い。
もちろん、私の一族が国際結婚に賛成してくれた事にも感謝しています。
それがなければ・・・
考えるだけでゾッとします。

2012年は私にとって激動の1年となりました。
振り返るには早いかもしれませんが。
今年の抱負は「意地でも飛躍する」でしたが、違う意味で飛躍しすぎました。
レジェンド・オブ・ブサメンの私が上海のお嬢様と結婚しただけでなく、中国語もあと1年あれば普通に喋れそうな勢いにあるなんて、去年の今頃は想像もしていませんでしたし。


妻のウェディングドレス姿 in 日本での結婚式

おはようございます。

8月も月末に入り、何かと忙しくなってきました。
やらないといけない事が多すぎて。
アレとかコレとか(謎)

で、ですね。
6月に長崎で入籍&結婚式をした私ですが、
10月は上海で2回目の結婚式を行います。
日本からは私の親族や友人、妻の仕事仲間が駆けつけます。
かなりの人数になります。

そんな中、親族の航空チケットを購入しました(凄く高いですorz)
それはともかく、上海で結婚式をするにあたり、一族の牽引役を兄貴に頼みました。
兄貴は世界各国を飛び回る生活であるため、変に複数の言葉を扱う事ができるのです(笑)
ありがたい話です。
#現在インドにいるらしい

親族用のeチケット

一方、当事者である私と妻は9月から上海に入ります。
妻は仕事の関係が大半を占めるため、私は1人で旅をしようと思います。
大丈夫。
上海語は全くわかりませんが、多少の中国語と筆談ならできますから。
とりあえず、ホームである普陀区からジワジワと行動範囲を広げたいと思います。

そう。
大阪駅前第1ビルにあるラーメン屋さん。
私と同年代のお兄さんが1人でやってるお店。

実は私、ココのとんこつラーメンが好き。
ラーメンだけに好みは色々ありますが、私は名人伝のラーメンが好き。

で、ですね。
どこまで書いて良いのかわかりませんが、
昨日は名人伝のお兄さんの経歴で盛り上がっていました。
ラーメン一筋だと思いきや、実は中国人の元で修行していた料理人だったという・・・
しかも、中華料理だけでなくベトナム料理にも影響を受けているそうです。

そんな話をしている最中、
一本の中華包丁を頂きました。
お兄さんが長年愛用していた包丁ではありますが、新しい中華包丁が仲間入りした事で出番が減ったとの事です。
日本で言う「ナタ」のようなイカツイ包丁で、どんな食材でも一刀両断しそうな勢い。
人間の首すら吹っ飛びそう(^^;

妻だけでなく、包丁まで「Made in China」となった私。
着実に中国文化が生活に取り込まれています。


王心凌 / 想你想你

シャンニー♪シャンニー♪シャンニーシャンニー♪
っというわけでこんばんは。

今日は驚く事がありました。

お昼休みに話したYさん。
見た目も言葉も名前まで日本人なのですが、実は哈尔滨市出身との事で2度びっくり。
奥さんは日本人との事で、私とは逆ではありますが、こんな身近に国際結婚をされた方がいるとは思いませんでした。

お互いに日本人と中国人の違いを語りつつ、色んな事を話しました。
子供の二重国籍についてまで盛りだくさん。

もっと色んな事を話したかったなぁ~
部署が違うだけに知り合うのも遅く、かなり残念です・・・

奥さん奥さん!!
黒人牙膏GETです!!

というわけでこんばんは。
会社では私の隣に座るM氏も使っている「黒人牙膏」です。

実はコレ。
ネーミングはともかく、中国製の歯磨き粉です。
私は妻が使っていて知りました。
当初は「中国製・・・爆発して今日も平常運転^q^」と笑うに笑えない代物かな?と思っていたのですが、正直素晴らしい一品です。
数ヶ月前まではGUMやOra2を使っていた私ですが、黒人牙膏を使ってからは他の歯磨き粉は使えなくなりました。
ヨゴレが落ちた感覚や爽快感は「日本のどのメーカーをも圧倒」しています。
もう、黒人牙膏なしでは生きられなくなりました。
中国では高級歯磨き粉の部類に入るようで、日本円で150円程。
日本との物価の差を考えると高いです。

余談ですが、別メーカーが作っている「白人牙膏」なるバッタもん?もあるようです。
次回、上海に行った時に探そうと思います。

ただ、1つだけ言える事は、ネーミングはもちろん、ズバ抜けた爽快感は「知覚過敏が多い一般日本人」には受け入れられないかもしれませんね。

メイドインチャイナ。
意外と侮れません。

まもなく8月9日。
長崎人の私にとっては被爆地生まれという事もあって特別な想いがあります。
ひい爺ちゃんも原爆で亡くなったわけで。
ただ、大切な事ではありますが「過去に捕らわれ過ぎる長崎の風習」にも違和感を覚える節があります。
世代も変わったわけですから、もっと将来を見ても良いのではないかと思います。

さて、
知っている人は知っていますが、私の妻は年下の上海人。
日本で言う「お嬢様」です。
ネイティブ並の日本語も扱えるトライリンガルで、世界を飛び回る実力派。
自力で日本の永住権まで取得するほどの日本好きでもあります。
出会った当時は疑う余地もなく日本人だと思っていたわけで・・・
後に上海人だと知ってビックリしたわけですよ(汗)

そんな娘さんと結婚してしまった事で、私の人生が大きく変わりました。
私自身が付いていけないほどのスピードで。
帰る家も両国にあるという「は、はぃ?」みたいな状態。
妻のご両親が「結婚したから上海にも家がいるでしょ」みたいなノリで事が進んでいたわけです。
8月11日に飛行機に乗って見に行きますけどね・・・

一方、私の両親の反応はと言うと、
「あんたは独特の世界観を持ってるから普通の結婚はそもそも諦めてた。国際結婚すると言われた時も、期待を裏切らない面白い息子だと思った程度。凄い娘さんを捕まえたという意味では驚いたけどね」と言われる始末で。

そんなこんなで波乱続きの新婚生活が始まったわけですが、今後も生温かく見守って頂けると幸いです。

今日の曲はコレ。
上海での結婚式で私が歌う曲です(上海での結婚式は10月です)
妻の指導もあって(自宅留学)、ネイティブ並な発音で歌えるようになりました。
個人的にはMVの女性の台詞「你會記得我嗎? 會記很久嗎?」がグッとくる。

童話 / 光良

国際結婚をしてから1ヶ月が過ぎました。
改めて「俺、結婚したんだなぁ~」と思う今日この頃です。

スポーツカーが大好きでコンピューターなお仕事の私。
モテる要素が全く無い私が結婚したんですから。
しかも国際結婚。

前回の日記は結婚報告のみなので、ココで妻との出会いから現在に至るまでを書いてみようと思います。

妻とは単なる顔見知りでしかありませんでした。
顔見知りですから手を繋ぐなんて事も一切ありません。
妻は出会った当時の事を振り返ると、「イケメンではないけど人間的に悪くない」とは思ってくれていたようです(笑)
一方、私は「外国人かよ!スゲー!日本人より日本語うまっ!」とだけ思っていました(笑)

2011年の冬。
神戸の海で妻と出会いました。
色々あって妻の方からお付き合いを言われましたが、「俺とは住む世界が違い過ぎる。俺とお嬢様では釣り合わない。」という理由でお断りしました。
とりあえず、これが「お友達」としてのスタートではありました。
という前振りをしておきます(笑)

2012年2月上旬。
私が過去に例を見ないほどの風邪で体調を壊し、動く事も喋る事も困難になりました。
その時、真っ先に駆けつけてくれたのが彼女(妻)でした。
頼みもしないのに飲み物や食料、お薬を買ってきてくれたのです。
さらに、寝ずの看病と病院への付き添いも。
私の中で「結婚するならこの人が良い」と感じ、意識朦朧とする中で「俺と結婚してくれないか」と呟きました。
彼女は「何言ってんの。身体治してから言いなさい。」と一蹴。
身体が完全回復した後、初めて結婚を前提にお付き合いする事となりました。
「浮気したら刺すからね」と言われつつ(苦笑)

2012年2月中旬。
彼女が突然、仕事の都合で東京へ行くことに(4月から)
引き止めたい気持ちは言うまでもありませんでしたが、「私、日本と本国を繋ぐ仕事をするために日本へやってきた。その夢がやっと叶う。だから行かせてほしい。」と先に言われたわけです。
東京行きが決定した事を受けて、両家の間で「結婚」の段取りが急ピッチで進められました。

2012年4月1日午前8時25分。
阪急三国駅で彼女と離れ離れになりました。
6月に結婚する事を約束して。
後日気付いたのですが、私の愛車に彼女の落書きがありました。

2012年4月2日以降、何事も無かったかのように私は大阪で、彼女は東京⇔上海・青島・杭州・北京・釜山などで仕事をしていました。

5月25日。
彼女のご両親が日本へ初来日。
目的はもちろん私との結婚式へ参列するため。
ご両親は彼女と共に東京観光をして日本を満喫していました。

6月1日。
私は夕方に神戸発のスカイマークに乗って長崎へ。
久しぶりに両親と再会し、独身最後の酒を酌み交わしました。

6月2日。
1日遅れて彼女とご両親が長崎へ(羽田発)
長崎空港で初めて両家が顔合わせをしました。
長崎市内到着早々、四海楼でちゃんぽんを食べ、グラバー園を観光。
ご両親と言葉は通じませんが、彼女の通訳で意思疎通はできました。

6月3日。
朝9時、長崎市役所で婚姻届と大使館発行の書類(妻の翻訳付)を提出。
休日であるため守衛室への提出となりました。
ココで初めて「彼女から妻」へ変わりました。
義父は私と妻の手を取り、「二人力を合わせて頑張れ」と言いました。
妻が大粒の涙を流した事が印象的でした。
そして、結婚指輪が二人の左薬指に。
夜は一族揃って「飲めや歌えやの大宴会」でした(笑)

6月4日。
義父が「海釣り」をしたいと言うので連れて行きました。
義父にとっては初めての海釣り(上海ではできないらしい)
長崎の海に感動していました。
そして、紳士なフリをしながらも鯖を50匹以上も釣り上げてニヤけ顔。
これがキッカケで、長崎滞在中に空き時間が出来た時、必ず釣りに行っていました(笑)
#釣れ過ぎて毎日鯖でした・・・

6月6日。
ガーデンテラス長崎で結婚式をしました。
妻はウエディングドレスは普通に着こなしていましたが、和服姿は新鮮でした(笑)
その夜は妻とスイートルームに宿泊(なぜかご両親も隣のスイートルームに宿泊)
贅沢な時間を過ごしました。
#実は10月に妻の本国で盛大な式を行なうため日本は地味にしました。
#日本はブライダルというだけで価格がおかしいし・・・
結婚式後、再び離れ離れの生活に戻りました。

7月6日。
ちょうど1ヶ月ぶりに妻と再会。
妻と共に埼玉にいる親戚に会いに行ったり、区役所へ妻の名を登録に行ったりしていました。
妻は独身時代に日本の永住権を取得しているため、日本国籍を必要としません。
しかし、日本人と結婚した以上は日本名が必要という事で、「Takayanagi」を名乗れるようにしてきたわけです。
妻の外国人登録書と、婚姻の事実を証明する戸籍謄本を見せるだけでアッサリ完了。

7月14日。
つまり、この日記を書いている現在。
妻は東京、私は大阪という、いつも通りの生活を送っています。
これから先、この離れ離れの生活を改善すべく1つの決断をしています。
生まれてくる子供の事を考えると、夫婦別居状態は最悪でしかありません。
10月に行なう2度目の結婚式までには改善する必要があるのです。

国際結婚。
文化の違いはありますが、結局は個人と個人。
日本人同士とあまり変わりません。
お互いを尊重すれば何とかなるものです。
見た目と遺伝子が少し違うだけで同じ人間ですから。

私が国際結婚を通じて「良かった」と感じる事は、グローバルな視野で物事を考えるようになった事や、自宅にいながら妻に外国語を教えてもらえる事。
3ヶ国語を華麗に操る妻だけに、私が妻から吸収できる(したい)事は生涯尽きないでしょう。

お久しぶりです。
6月上旬、私はとうとう結婚しました。
国際結婚です。
この私が上海人と結婚したわけです。
驚きのスピード婚であり電撃婚でした。
とは言え、両家共に祝福される結婚となった事に感謝しています。

知る人ぞ知っていますが、妻は只者ではありません。
日本語も完璧で、仕事も世界を舞台に活躍するお嬢様。
ご令嬢と言うべきか。
妻の仕事の関係者からは「こんな素晴らしい女性と結婚出来るなんて幸せな事だよ」とお墨付きを頂くほど。
#でも日本の心をわかってないという意見も聞かれました(そりゃそうだw)

残念ながら仕事の舞台も年収も、全てにおいて生涯追いつく気がしない。
それでも妻は私に声を掛け、そして私を旦那にすると決めた。
自他共に認める逆玉の輿婚となりましたが、妻にとっては「そんな小さな事」「大船に乗ったつもりでついてこい!」と言うので、あまり気にせず頑張って行こうと思います。

そんな34歳の初夏。


135 / 我愛你 ’97

以前にも紹介したかもしれませんが、新年はこの曲からスタートします。

さて、
あけましておめでとうございます。
2012年ですね。
皆様、今年もよろしくお願い致します。

今年は私にとって変化の年にしたいと思っています。
仕事もプライベートも。
決めた目標へ向かって歩むという、基本姿勢を貫きたいと思っています。

目標は大きく5つあるのですがブログでは書きません。
私の胸の中に秘めておきます(笑)
だって、このブログを見ている人は私に近い所にいる人ばかりだから(^^;
ヒントとして、5つの内3つは勉学、1つは自分自身の改造です。

今年は飛躍します。
意地でも。