四十にして惑わず

 


馬場俊英 / 人生という名の列車

「四十にして惑わず」

今朝、妻に言われた言葉です。
人生において迷いがなくなったわけではないけれど、これからの人生の方針・方向は決まっています。
矛盾するけれど「迷ってる場合ではない」というのが本音かもしれません。

40歳は大きな病気さえしなければ人生の折り返し地点。
社会人としても折り返し地点。
最近は「死」に関しても考えるようになりました。
私だけかもしれませんが、40歳以上になると「いつ死ぬかわからない的要素」があると思っています。
これから老いていく自分と真剣に向き合う必要もあると思います。

ご存知の通り私には子供がいます。
本人はどう思っているかわかりませんが、私は我が子を「自分の分身」だと思っています。
そのため、少なくとも生命のバトンは渡せたと感じています。
私以上の教育を受け、次の新しい時代を作り、立派に育ってほしいと願うばかりです。
また、とりあえず都内に土地と建物があるわけですから、私が死んても多少なりと資産として残れば良いなと感じています。

人生の後半戦に突入した現在の目標は「最低でも定年するまでは死なないでいたい」です。
欲を言えば定年後5年くらいは旅をする時間がほしいのですが、とりあえず子供が巣立つまでは稼がないといけません。
ネガティブな日記になってしまいましたが、人生の半分を終え、老いて死を迎えるまでのプロセスを想像するとちょっと凹みます。
みんなが通る道だとわかっていても受け入れたくないものです。

9月6日は私を含む多くの人が誕生日を迎えます。
数年前まで一緒に頑張っていた後輩、学生時代の同級生もそう。
有名人で言えば氷川きよし(年齢も私と同じ)やローリー寺西、大江千里、谷亮子も今日だったと記憶しています。
みなさんお誕生日おめでとう。
そして、産んでくれた母に、男としての背中を見せてくれた親父にありがとう。